風呂を貸す

人に、自らもいずれ死ぬ運命にあるということについて気づかせること(死の運命強調)は、自身の文化的世界観や自尊心を強化するための行動、すなわち、「自分の文化的世界観に批判的な者への攻撃」や「逸脱者への批判や不安」等につながるとされている]

自分が拷問されて殺される事を想定しがちなのは、逸脱者になろうという自覚からだろうか

疲れてる時に見ると何も感じないぞわ

たまにこういう事が起きるのだ人生は


前日、知り合いが東京で被災している事が判明した。住居の水道管が破裂し断水、復旧予定は無しだという。新しい住居探しなど色々問題は有るが、とりあえずうちの風呂を貸した。朝、東急裏のスタバで待ち合わせ。吉祥寺ナタリーのくせに初めて行った。しかも若干寝坊したのでフクちゃんごとウッドデッキへ。

お礼に朝食を作ってくれるというのでパンと野菜を買って帰った。

うまい。パンもいいなあ。健康的な朝だ。しかし湯島往復が祟ったのか肝臓さんが怒っているのか限界であった。駅からうちまでの地図がなかなか書けず、こりゃアカンと思った。

夕方まで寝て、吉祥寺シアターはるちゃんが出ている芝居を観た。彼女は艶が有って綺麗で存在感があった。主役をやるべくしてやっている人なのだなあと思った。終演後も爽やかでいいなあと思った。じっとりしている自分とは対照的なので、今度三人で飲みたいと思う。

一緒に観に行った友人と中華料理屋で飲んでいたら、店の電灯が揺れた。初めて地震を誰かと一緒に体験した。店の店長らしきに味辛目や酒濃い目で頼む中国語を教わった。残った料理を持ち帰りにしてもらったら「日本人のこういうところが好きよ!」と言われた。だって貧乏だもん