食べる

キレてます


どん!

どどん!
昨日のお洋服をくれた友達宅にて。ダバダの常連さんなら見覚えが有る料理かもしれない。こういうものをチャチャッと作れる彼氏は本当に素敵だと思った。素敵なカップルと久々の家呑み。ビールと焼酎をご馳走になる。朝の体調不良もなんのその。話題は尽きず、遅くまで呑んでしまった。旅や酒、今より若い頃の話。自分の酒乱もご存知な二人はもう自分の中では家族である。勝手に末っ子になるのは自分でも悪い癖だと思う。前後に仕事も有るのに付き合って頂き、とにかく感謝。雨に打たれて帰宅。

翌日は久しぶりに定食屋に出かけた。朝の連ドラではないが、丁寧にシンプルに生きる為に、ゆっくりと食べた。

家族でごはんを食べるのは仲がいいから食べるんじゃない。その逆です。「いつごはんがまずくなるか」をチェックするために、いっしょにごはんを食べる。ぼくはそう思っているんです。

前にも書いたが『千と千尋の神隠し』で観る度に泣いてしまうのは千尋がおにぎりを食べるシーンである。椎名誠の『雨がやんだら』をやったゑびすの舞台でも、有り得ないスピードと量で猛烈に素麺をすする井手さんはよかった(苦しそうだった)。好きな人が食べている姿を見るのがとても好きだ。ぐっとくる。
自分も食べる事は大好きだけど、残念ながら昔は興味が無くなりたいと思っていた。かなり問題があると思う。内容もひどく暴飲暴食、激辛食い、果ては過食嘔吐ドリアン助川の『食べる』というエッセイがある。国内海外問わず、著者のこれまでの人生で得た感慨が食べ物にこめられている。食べる事には物語があるのだ。
料理番組を観るのも好きだし、池波正太郎開高健の食にまつわるエッセイも好きなのに、自分が食べるとなると滅茶苦茶なのはどういう事だろう。自分の人生を粗末にしている。タナトスみたいなものが働いているのだろう。好き嫌いはないし誰か一緒に食べて下さい、というのは冗談だが、好きな人がそばにいたら変わってくるんだろうな。

食べるといえば台所純情。自分もお手伝いします


ドイツ滞在中に描かれたという竹久夢二の「着物の女」。モデルはユダヤ人らしい。テレビで竹久夢二のドキュメンタリーを観た流れで、鈴木清順の『夢二』を観た。清順作品が好きなのは「観たいものを観たいように撮っている」からである。アニメの作り方に近い。奇をてらった何ちゃらとかより、ただ観たいという欲望への正直さを感じ、嬉しくなってしまう。
以前は作り方を意識して観ていたが、今回は役者の芝居をじっくりと観た。普通の演出と違い、仕掛けも細かく有る訳で、かなり不自然な状況で芝居をしていると想像される。羨ましい。そして美しい。ぶれない。楽しんでいる。信頼している。自分のように集中力の無い男には到底いけない地点なのである。諦めるな


ブログに載せようと思い、頂いたお洋服を着て写真を撮った。前髪をなんとかしなければならない。自分は体型は藤子F不二雄だし、どう足掻いても女には見えないのだが、仕草を女性化したいともあまり思わない。一見「?」と思われる状態が面白いと思う。愛犬を失くし悲しみにくれる親父が見たら、怒って生きる気力が沸いてくるかもしれない(そんな訳は無い)。

しかし書こうと思ってブログが書けなくなったのは初めての事である。何かそわそわした気分が残った。