うすらばか


かっこつけてJoy DivisionPixiesなんか好きなアーティストとして挙げているが、本当はポップなものの方が泣けるので好きだ。

作業のストレスから酔っ払い、その上フクちゃんにあたってしまった。クズである。クズであるからこそ何とか生きられているというのに、世の中にはよい所を探して褒めようとする人もいる。前川さんは「ばかものを観るといいよ」と流石である。


CPUの限界に近い作業をしていると当然遅い。ネットも繋げず、待つ時間の耐え難さに最初は頭が狂いそうだったが、限界というのは人間にもある事で、自分の能力を超えた入力、指示をされたらこんな風になるんだろうなと思った。

役者になろうとする事も、自分にとって能力を超えた入力なのかもしれないと思った。初歩的な役作りの勉強として女装キャラを与えられたのも、役者の技量が無い為と、その前にある素材としての自分の人間味が薄い為である。

無味無臭の、幽霊のような存在になりたがる子供だった。物語に憧れたのも現実のカオスっぷりに疲弊して逃げ込む場所だからだ。勿論それは頭で考えた事で、無意識や本能はギラギラして欲が強く、矛盾に満ちたカオスなのだが。

幽霊といえばなぜ廃墟や人のいないところにしかいないのか。それは「そういうところにいそう」と人が思うからである。死んだら霊になるのなら、どこにでもいるはずだ。何億人死んでると思ってるんだ。
妖怪人間がドラマ化するらしいが、妖怪も存在はしても実在しないものであるからして、妖怪人間というネーミングは妙だ。変異体として世界に一つだけの花とかクソみたいな歌を歌っていればいいのである。


話が逸れた。時間は伸び縮みする。目の前の状況に没頭すると短いし、待たされたりすると長い。集中して頭の回転を速くするとまた伸びたりする。そんな時は口汚く訳のわからない怒声が自分の中に鳴り響く。

時間の計り方は変わらないのにそんな事が起きるのは状況に溺れているからである。役者として在るには状況に対応できる客観的な目が必要である。役者でなくても、自分の役割を演じながら絶対的な時間の流れの中での自分の生き方を意識する事が必要である。

自分はそれがすごく下手だ。後で一人の時に振り返って整理しなければならない人だ。30年、状況に溺れてきただけだった。そして今こうなっている訳で、なるほどとようやくそんな当り前の事に気付いたりしている。

役者になろうとするのをやめたとtwitterで言ったのは、上記のような事を考えたからでもある。作業のストレスで追い詰められたのもある。言ったそばからショートフィルムの出演依頼が来たので勿論引き受けた。求められたら応じる。役者としては役不足でも、何かが欠落した人間として必要とされるなら応じる。

知り合いが今度無料で退行催眠をかけてくれるそうだ。前世療法とか言われたりしているらしい。自分は輪廻転生は信じていない。というか信じたくない。死んでも終わらないなんて地獄である。生は一回きりだから尊いのだと思っている。
とはいえ自分にインストールされているシステムやデータベースをいじるというのは魅力的なので、かかるといいなあと思う。

いま観たい映画。