慢性疾患


男性的な恋心

自分はつまんない人間だと目を伏せるのは時間の無駄だ。自分のダメなところを誤魔化さずにがんばるしかないのだが、自分が一番自分に騙されやすく、同時に騙している罪悪感が最も性質が悪い。
罪悪感が溜まると攻撃的になり、周囲を傷つけ自分を貶め、最悪な事になる。取り繕う努力は空しく、結局その場から逃げるしかない。以後繰り返し、居場所が無くなるまで続けられる。

本来人間は気持ちいい事しかしたくない生き物だ。新しい快楽に浸り続けたい。でも残念ながらそんな生き方は有り得ない。そもそも飽きるし、役に立たないものは排除される。他人の役に立つ事に感じる喜びは、排除される恐怖の裏返しともいえる。
自分はダメなところは一生ダメだと思うが、まず最初に直そうとする事は問題だ。その前にダメの中にある欲求に向き合って、どう表現するか試行錯誤するのが先。無意識にお利巧ちゃんになろうとしている自分が一番ダメだ。

表現の評価を決めるのは他人だが、何がダメで何がダメでないとするのか、まず自分で決めなければならない。一人でいる時も、出来事にリアクションする時も、他人におもねるのはダメ。正解を求めるのもダメ。ぶれないというのはそういう事だ。

でもやってはいけないと思うほどやってしまうものである。まずは屈折した心のひだひだを取り出してなぞって、ダメでないものを探そう。以下個人的な話。

・排除される恐怖。
母の腹の中で死にかけた、ヤブ医者に殺されそうになったのが始まり。別の医者が帝王切開で助けてくれたので、恐怖と救済を(赤子にとっては)同じ外部から与えられた訳だ。
同じく死にかけた母はあまりの痛みに「とにかく早く終わってくれとしか思えなくなった」と言っていた。兄の時にはなかった生き地獄を味わったのだろう。本当に申し訳ない。だが自分は生きる事を諦めなかった。

とりあえずそこはダメではないとする。絶対的な基本はどれだけ理不尽でも生きる事を諦めない事。逆に生きてさえいれたら何でもよい。何でもよいというのは思考停止だからダメかもしれない。
屈折ポイントは自分以外のものへの第一印象が強烈だった事だろう。自分の人生にはこの印象がずっと影響してきたと思う。他人には何も期待しない。でもどこかで信頼している。生きていて欲しいと思う。自分も諦めないから。

メロスは、単純な男であった。