仕事1
吉祥寺では雨は一時止んだ。止んで一時間も経つと、ハルゼミが鳴きだした。
ネズミーランドでは族あがりの同僚の他、経験を忘れられない事が悩みの人もいて、名前は忘れてしまったけど随分影響を受けた。醒めたような笑顔で「おひょひょひょー」なんて笑う彼は退屈な休憩室の会話を回す司会者みたいな役回りだった。僕は当時大学で演劇の授業を取っていて、初めましてな人達と半年間芝居の稽古をして、学内で公演する事になっていたのだけど、彼の居方や喋り方を真似してその授業に参加したところえらいウケがよいのだった。「あなたクラスの人気者だったでしょ」驚いた。
大学在学時にダブルスクールしていた映画学校の仲間と映画を撮った。近所に住むスタッフの家で打ち上げの時、既に映画の仕事をしていた人が大手ポスプロ会社の知り合いの話をして、「結構お金いいらしいし、自由らしいよ。週末はクラブで趣味のDJやってるよ」とか言っていて、その日も僕は飲んだくれたのだが自活しなければならず
大学卒業間近だった僕はその人の言葉だけ覚えていて翌日、その会社に電話してみたのだった。
「アシスタント募集してるって、HP見たんですが」「明日来られる?」
就活など今まで一度もした事がなかったのでなんだ楽勝じゃんと思ったが、なかなか世の中甘くないのだった。
その会社は映画の編集は勿論、CG制作、MA(整音)など撮影後の制作はなんでもござれの大手だったのだが、僕が電話した部署はTVのバラエティ番組の編集アシスタントだった。常時募集がある理由はキツイからだった。
数日間、現場の人から基本的に必要なアシスタント業務を教わり、後はクライアントとの実践。てんてこまいだった。Photoshopが必要だというので使う分は覚え、当時バラエティに欠かせなかったテロップ入れのスピードも磨き、裏側のデッキの取り合いや人間関係なども覚えていった。
番組レギュラーが決まると連徹が常習化し、家に帰るより空いてる編集室で寝たり、会社近くの公園で力尽きたりした。その頃チューハイの強いのが流行りだしていて、よく飲んだ。メインの編集さんは自分より年下が多く、元気だった。オフはフットサルやるんだ、お前もどう?と言われた。興味なかった。
あれー入る前に聞いてたのと違うなーと思ったら、DJやってるのは正社員の営業さんなのだった。公園で猫にまみれながらアホだなあと思った。この職場も吉祥寺からは遠く、給料も安かった。レギュラーではいつものディレクター、ADなどと顔見知りになり、食事もよく共にしたのだけど、会話は弾まないので自分はいつもニシン蕎麦を食べていた。渋いキャラで乗りきろうとしたのだった。
うん百万稼いでいる売れっこ編集さんにたまに吉祥寺まで送ってもらった。おっかなかったけど、あったたかった。いつも何も言わず、醒めた目でこちらを見るだけだった。編集では青森出身は精神的に弱い人が多かった気がする。撮影現場では男性ADはよく辞めていった。
1年位働いた頃、学生時代の知り合いから紹介された人から「画像扱える人探してる」と言われた。吉祥寺のMANDARA2で、渋さ知らズのライブで対面。その人も映画をやってた(る)というし、なんかお金持ってそうだなあと思った。職場は高円寺と聞き、これだなと思った。