仕事2

雨も止んだままだけど、いつの間にかハルゼミも鳴き止んでいた。先週から鳴いていたから、死んだのか、寝てるのかわからない。Tシャツ短パンだとちょっと寒い。5月である。


吉本でお笑い芸人を目指したものの郷里に帰りマッサージ屋をしている知り合いの所に、その人は来た。同郷の里帰りで、肉を揉まれながら「ドキュメンタリー映画をやっている」とか話したそうだ。芸人くずれの方は僕の学生時代の親友で、映画に出てもらったりもしてたから、「東京ならこんな知り合いがいる」と連絡をくれたのだった。


編集の仕事で食ってくつもりはなかった僕は、その人の事が記憶に残っていて、1年が経った頃にアシスタントを辞めた。年度末で、レギュラー番組の関係者が集まるパーティーにも顔を出さなかった。新しい職場は一見普通のマンションで、怪しげな代表の人が迎えてくれた。数人しかいない職場だったが、皆忙しそうで、やる事は無数にあるように見えた。何より家から近かった。


最初の仕事は画像のモザイク入れだった。ネット上にある無数のエッチな画像を法的に使用しても大丈夫にするのだ。顔もいじった。既に人は足りていたので、僕はその集団が運営するサイトの広告担当になった。体験談など画像入りで書くのが仕事だ。気合が入った。
いかに(やりたい)人の気を引くか。SM調教師にも会い、お金を払って協力してもらい、そそる文章を書いた。正直、これ世の中に要るのかなという疑問は湧いたが、お金はどんどん入ってくるのだった。
僕は調子に乗った。世の中に出回っている射幸心を煽る系の雑誌にどんどん広告を入れ、売り上げはどんどん伸びていった。こんなにもらっていいんですかという給料をもらい、夏休みには同僚と車で恐山に初めて行った。あり得ないような景色を見たり、貝焼き味噌なんか食べて、すごく楽しかった。社内旅行とかいって京都でスッポンを食べたりした。酔っ払ってしまい一人帰ってきた。それはもったいなかったと思う。
ある日国税局の人達がいきなり来た。面白い事に僕らの名前など把握しているのだった。要はオーナーが脱税目的で作った集団であり、ついに踏み込まれたという事である。だが運営自体は法には触れていないので、それを機にオーナーと縁を切り、ついに会社になったのだった。初詣とかも出かけて、会社で書初めも書いた。なんて書いたんだったか。


会社の人事は入れ替わりが激しかった。バイトでもPCが使える人は社内で仕事をしてたが、中には抗精神病薬を飲んでる人もいた。そういえばここに入ってしばらくは、タバコが吸えるマンションの非常階段で、肩にずっしりきているのを感じてたのだった。その頃映画学校の同期で被害妄想に囚われてしまった友達から電話があった。
「やくざをつかわすの、やめてくんない?」
仕事中だ!ばか!と言って電話を切り、やるせなかった。その友達はいきなり吉祥寺に来たりして、構えてしまった事もあったが夕陽をみる度に思い出す。新しく会社に入った同僚はFX(外国為替証拠金取引)で随分儲けているようで、マンションを買ったそうだった。一個上なのにやるなあと思った。


会社は斜陽に入っていた。売上げを伸ばす新規プロジェクトのリーダーに抜擢された。その頃は毎朝「最近有ったよかった事」を朝礼で言うようになっていた。僕はいっぱい嘘をついた。半年ほど頑張ってはみたが、売上げは目標には届かなかった。リーダーになった時から思っていた事だが、僕は職業人としては職人気質でここまできていて、全体の責任を取るような事は、自分ががんばる以外では中々できなかったのだ。


ちょうどその頃、学生時代の知り合いの演出家から、芝居出演の依頼がきた。腰掛けのつもりで、既に3年経っていた。アングラ芝居か、いいじゃないすかと余裕かまして会社を辞めた。プロジェクトの期限と共に。「失業給付要る?」「あー要らないす」とか言ったのを覚えている。


その後1年間、芝居の稽古をしながらFXでお金を稼いだ。レバレッジを100倍にしてたので、5分で数十万円が手に入る。これはいけるぞと思ってたら、リーマンショックが来た。1分で数百万が消え、布団に突っ伏した。失意の役者デビューだった。


ブログでも書くか。
書き始めた2009年1月。