とはメモの事で

ありのままに世界を受けとり存在したくても
動き続ける生命や風景の中に留めておきたい瞬間はある
それは人生が有限で、輪廻転生を信じてないからというより
切なさを最大限に表現したいというエゴからだ。
他人と同じ経験はできないしわかりあえない事も知っている
でも一体化したような経験を妄想と知りながら楽しむ事もできる
それはそれでありのままだと思う
問題は好きな間違いと許せない間違いの線引きであり、それが自分の道徳観というものだろう。
達観なんてしたくないけど加齢で固定観念も増え、処理もキツくなり勘違いしてしまうか
それでいいのだ

とか思っていたようだ
知り合いがどんどん世の中から消え現実味がなくなったり
映画や芝居で怒る人の「そうでなければならない」事を考えたり
こだわる事は暇潰しなのかなと思ったりしながら
何もせずコタツで寝るのは明らかに怠惰なので
2日に1日はがんばる事にした


固執は生きる喜びです

仏教なんてくそくらえ