誰に話しているのだ また何を

NHKの朝のテレビ小説が楽しみで
日曜の夜も明日が楽しみで
毎日の楽しみを楽しみに生きるのは健康的で
毎日の楽しみが無くなっても生きることに不具合はないけど
相変わらず不健康に過ごしております
あまちゃんまだ2008年でつらい


何の目論見もなく流れに任せて無意味にだらだらと
空手で素振りを繰り返すみたいに過ごしていても
たまに起きた風でパンフレットのページがめくれるように
ちらっと何かの表面が一瞬、薄く一枚


吉祥寺から池尻に向かい若松に着いた
迷っている間知ってるつもりでほんとは知らない事が
目の前の町やそこをいく人の姿でそこに在るみたいで
下北沢までは何も考えずに行けるけど、何も考えずに行けるだけだ。
道は一部を知ったつもりでいると、やがてその周辺も全部知ってるような錯覚を起こす。それでいいと思うが錯覚は錯覚


なんとか池尻に着き、目的を果たしてやれやれと遊歩道の地図を見て帰途、三宿太子堂、代沢辺りを面白く走る
すごく急な坂を上ると大きな家の住宅街があり、またすぐ下りで「大型車通れません」「自動車通れません」「(改めて)自転車のみ」と立て続けに道が狭くなり密集地帯に入る


酒を飲むと雑
それは元々雑


気候がよい夜、自転車に乗ると恋の感触もああこんな感じと思い出す。
恋は全て偶然が想像力を刺激してできたエピソードだから、愛おしい。
物語は生きる為には必要ないが生き続ける為にはそうでもなくて


東北沢はあれだ寸止めの街だなどと思い、若者が集まる理由はわからないが以前池袋は印象の断絶がたくさんあってモザイクだなどと思ったことを思い出したが
要はよく知らないから勝手にそんな事を思うので、吉祥寺に慣れない人はやっぱり吉祥寺の事もそんな風に思ったりするのだろう


やがて井の頭通りに出た時の安堵感に軽いショックを受けた
不安を見ないようにしてたんだと笹塚、甲州街道
大雨で道路にできた流れに浮かんだ菓子パンの袋のようなこれまでを思う
一か所に留まる事は避けてきたつもりでも

故郷や長く住んでいる場所にうっすら嫌悪感を持つのは
未知を恐れる自分を見ないようにしているから
結果的に意味はないけど、月が出ていた