33歳・男

役割を演じるのが社会で生きること
いずれは社会から離れて自然に…
切な過ぎて、しかもちょっとホラー…。アンコウのオスの救いの無さまとめ
自然というのも合理的にできているのだった
自我なんて、自然の中では
システムに取り込まれるまでのものでしか
ないのかもしれない
取り込まれてしまえば不要になり
生きてる間は自動的に役割を果たし続ける
新世紀エヴァンゲリオンみたいな

そういう状態を理想として
システムや場を求めてしまうんだろうか
はっきりいってそんなの無理である
病気になる
でも否定する事で保たれるようなさもしい自我なら
要らないとも思う
「水辺」
アートだ。
やっぱり発明し続けられることだけが
自我の存在価値なんだと
極端だとは自分でも思うけど
借金を返して終わるだけの人生にも
やっぱり価値はないと思うから