派手な裏方


・via DDN JAPAN

このブログはだれが決めたか
原則として酔っている時に書く
(俺だし。後で直したり放っておいたりもします)


僕は酒を飲むとたちが悪い
悪意がないと思っているのも
たちが悪い
記憶をなくすからといって
自分もなくなるどころか
周りの全てを自分の拡張とみなして
意図を手放し、コミュニケーションを絶ち
単純な世界を良しとして、それに気づかぬ
たちが悪い


意図は持っていた方が人として魅力があると思う
失敗するからだ。腹に一物抱えている人は
そういう匂いを発しているものだし
絶対に思い通りにはいかないものなので
周りもかれの心中に起きるドラマを想像して
ドキドキしたり蔑んだりできるからだ


意図を放棄して、自然の一部として
流れに任せて生きていると、失敗しない
目的がないのだから失敗しようがない訳で
傍目には色々エピソードがあるように思えたとしても
かれにとっては出来事から受ける影響に違いはなく
何も起こっていないに等しい


グチスタート
一人でいるということは、調整のためにも
必要な時間でもあるが
大概はつまらなくなっていくものである
種類を増やしたり、技術を磨いたり?はできても
ルールも自分一人だけで決めていると飽きてくる
だから実現不可能な事を目指して遊ぶようになる
自分の体だけで空中に浮くとか


もし「ここじゃない」「これじゃない」と思っても
ルールと問いを強いてくる社会のどこかにいた方が
飽きなくてよいだろうと思う
疲れたら休める方がよいけど
グチエンド


「こいつこうしてやろう」とか、
「こんな風に思われたい」とか
そういうものを持ってそこにいた方が尚更よい
情とは、そういう経験から育まれるものだと思う


自分を含む世界をコントロールしてやろうという意図と
状態の変化に合わせて振舞を変える要素であることに徹する意識と
ふわふわ移動させながら歳をとっていく


僕はどうだったか、今はどっちが強いか
女装して映画学校の飲み会にいったら
面白がられて嬉しかったり
どこにいてもズレを意識する一方で
女装でいえば戦略的によりエレガントに
自分を作ってきたかといえばそんなことはない


他人の意図をとらえる嗅覚や
できる限りの客観を忘れないように
恥ずかしさを疎かにしないようにと
その辺は意識して、無意味な努力のみに
心を砕いてきた気がする


自分なりの生き方をシンプルに整理すること、
安易なものを排除すること、を努めてきたつもりでも


いざ酒を口にすると
素朴な田舎者として見られたいと
未だに思ってることが表に出てきて
また漠然と恥ずかしくなり
またまた開き直りの朧月夜である