親父上京

9月は一つ会社を止めるという事で
バタバタの中、2日間休みをもらった。
東京駅に父を迎えに行くことができた。


その日65歳を迎えた父は、末期がんの治療の影響で
つるっぱげなのに加え、全身の筋肉も贅肉も少なく、
体重は47kg位。疲れると具合が悪くなり吐くという。
食えない、動けない、骨が押され痛いので留まれない。
肌はシワシワで、一見80〜90歳位の老人なのだが
眼つきは「何か」を宿して、ギラギラしている。


そんな状態で、ひとり上京してくるというのは、
周りの人に言わせれば異常だ。親父曰く、担当医も
「なんで動けるの?」という顔で自分を見るそうだ
(あくまで親父の主観)。


でも「親父なら」と思えるのは、彼が
15年以上がんとつきあってきたからなのか、
僕の父だからなのか、50年近く役者をやってたからなのか
よくわからないが、追加のワクチンを注文しに行き、
一緒に医者の話を聞いた。


親父は自分の体に金がかかる事をとても嫌がっていた。
東京駅で会うなり「今回の食費・交通費だ」と金を渡してきたが
治療費は必要経費とはなかなか考えられないようだった。
「そんなあやふやなものに使う位なら遊びに使う」


よーし、じゃ遊ぼうじゃないか。いい天気だし。
移動、特に階段の昇降がしんどいというので
タクシーで六本木ヒルズに向かった。


(なんで『るろうに剣心』なのか!)とも思ったが
前作をTVで観たらしく僕もアクション監督が業界で話題とか
聞いていたので一緒に観た。親父と一緒に観る映画はいつも
そんな感じだ。観劇後、喫煙所で東京タワーを眺めた。
(後日、その日封切で親父が大好きなSFXにも関わらず
猿の惑星』にしなかったのは続きが気になるからなのかと邪推もした)
六本木ヒルズの待ち合わせスポットにある
お腹に卵を宿した蜘蛛みたいなモニュメントを見て、
親父は「おもしれえなあ」とニヤニヤしていた。


「私、よくわからないのでナビ使ってもよいですか」
東京のタクシーは「フリで余計に金をとるよな」と
親父は言っていたが、背に腹なのでのんびりタクシーに乗り、
道すがら神社やビル街の話をする。「こんなに乗っていいのか」
いいんだよ。目の前が道路工事中のホテルにチェックイン。
連れ込み禁止という事で、宿泊者以外は部屋に行けないという。
事前に「焼き鳥で一杯やりたい」というのは聞いていたので
最寄の店が開くまで、一人周囲をぶらぶらして時間を潰した。
武道具屋が多い、水道橋のドーム近く。明日は巨人戦だ。
日中はどうしようかと、埃をかぶったガイドブックを買った。


「はいドリンクさん、生2丁!!」
開店直後で店員も元気いっぱい。
名店を謳う焼き鳥屋には、座敷がなかった。
どれくらい食べられるかわからないので、
携帯クッションに座った父に1stオーダーを任せた。
部位によってカラシ、ミソ、タレなどのおすすめ指定があり
どれも「ほう」という感じで名店くさい。

隣のテーブルに老婆と40歳位の男が来た。
老婆は殆ど食べない上に寝た。その二人が帰ったあと
「あれはなんだったんだろうなあ」と話す父は、
生ビールを1杯飲めなかった。串も5本位食べたろうか。
肉が好きなくせに、食べ過ぎると吐いてしまうため
頼めないのである。また何故か指先の指紋もなくなり
ひっきりなしに鼻水と涙が止まらない父は
何するにも全く自信がなくなっちゃったよ、ハハハと
真顔で笑うのだった。


僕は父の3倍飲み食いしながら、母の話もした。
父にとって「あれはオナゴだ」という母は、職人気質ゆえに
何事も決めつけるきらいがあり、なかなか、手強いのだった。
父は「でもまだ生きることが面白い」と言った。
どうでもいいけど、元気な女店員の名札は「成田」だった。
「え、そうなんですか!また来てください!」そうね。


ホテルに送った後、親父から「あんまり飲めなくてごめん」とメールが来た。



<2日目>
明日は仕事なので、今日でさよならだ。
焦ったのか眼鏡を忘れてきた。
11時でいいよと言われたが10時に行く。
親父はロビーで待っていた。


秋葉原乗り換えで、浅草に向かった。
今日もいい天気。昼酒の話などしながら
浅草寺に着いた。親父は元教員だったので
生徒の引率で来る事も多かったらしいけど、
「全く初めて来たみたい」と言っていた。
親父のペースで歩き、主に僕が例の煙を浴び、
一緒に賽銭を入れて拝んだ(「ありゃ、寺だったな」)。
祖母と母のお土産にお守りを買い(親父が払った)
スカイツリーを見ながら一服。
「行くか」
当日券でスカイツリーに上った。
僕も初めてだったのだが、エレベーター内の液晶の映像など
アトラクションぽかった。地上350〜450mをうろうろして
たまに外を見やった。裸眼でもビルがコンピューターの
基盤みたいに見えた。床がガラスの場所で父は
スカイツリー上ってしまったなあと言った。
僕は観光客の白人女性があまりにナイスバディで
若いっていいなあと思った。


ツリーを降り、噴水で幼子がキャッキャしてるのを見てたら
親父は横になりたいくらいしんどいのだと言った。
じっと座ってる分にはいいらしいのだが僕は慌ててしまった。
本人は缶コーヒーが飲みたいというのに、近くに売ってないと思って、
近くで売っていた、はちみつレモンをあげてしまったのだ。
親父は静かに飲んだ。まだ熱い日差しの中、幼子がびしょびしょになり
着替えさせられるのをしばらく眺めた。


父が「去年ほんとは水上バスに乗りたかったんだ」と言うので
浜松町まで水上バスに乗った。浅草〜浜離宮〜浜松町が40分程度とか。


乗客は半分以上外国人だった。特に何かあったわけではないけど
親父も僕も楽しんだ。水の匂いだ。あとは体に当たる風。


日の出桟橋に着いて一服してると
隣の敷地内でスーツ姿の若者たちがインタビュー受けてるので
「こりゃ何かスポーツの日本代表じゃない?」と話したのだが
司法試験合格者達だった。やっぱ浜松町はなんもないね〜って水道橋に戻った。


「巨人は首位で、ヤクルトはゲッパ」
親父の言の通りというか、3塁側の1割のみヤクルトファンだった。
我々はそれなりにいい席で観戦。お互い初めての生プロ野球なのだった。
父はドームの狭さ(プレイグラウンド、客席)に驚きつつ興奮していた。
酒の売り子は<ビール><焼酎><ウィスキー>など書かれた団扇を持ち、
反対側の手は「はーい」と手を挙げるよう促す保育士のように開きながら
客席を後ろ向きに歩くのだった。僕は視界が全くぼやけていたので眠くなったが
親父は持参の双眼鏡をのぞいたり、僕にのぞかせたりしながら
「すげえなあ」と一流選手が目の前にいることなど(特に守備)騒ぐのだった。
巨人が勝った。


夜。ああよかったと思いながら座敷のある店を探したが
ひとつもなかった。歩き回り、親父を疲れさせてしまい
結局「帰ろう」と言われホテルの前に来てまだ思い悩んでいる時
工事の跡に道幅が狭く感じたのか男が親父にぶつかった。
スマホ見ながら、あ、ごめんなさいと言って去って行った。


親父はぶつかった男が行く方を少し見やった。
僕は頭の中がぐじゃっとなった。
「じゃあ、な」と親父はホテルに戻っていき
僕はじゃあねと手を振って別れた。


親父が目に宿していた「何か」は
こうではなかった自分への固執ではなく
人間とか人生とかに対しての、親父なりの理解だと思う。
その中に自分も関わってきたのだと思う。

赤福が東京のものだと思ってたらしい親父は
八重洲地下で買えたんだろうか


後日ワクチンを割高の4倍濃縮にするというメールが届いた
絶対、USJに連れていくのだと思った。
(悪いけど、なんでUSJなんだ!)