わがまま

先日、渋谷で『たからぶね』を観た
とても面白かったけど、登場人物しかいない世界みたいで
役者に本編で語られない日常は見えなかった。
「宝船」やセックスの様子は素敵なのに、物足りず
劇的にしないで、地獄のような関係性が続いてほしかった。


日本人の作品に、劇的でないものを求めてしまうのは何故だろう。
子供のころからアメリカのドラマが好きで「なんて短気なんだ」とか
思いながら満足していたのに。
日常では劇の大半は作為的でつまらないし、日常の方が面白い。
定番とされる型がよいと思うのも、もはや日常だからだ。


最もよく経験する作為は自分の夢だ。
夢は無意識に思考を積み上げたものであり
夢を見ている時、見せられているようで実は
自分で筋書きを組み立てて眼前に立ち上げている。
無意識が今作っているなと感じながら夢を見ていて、
作り手と観客なら観客として楽しみたいと思う。


夢では場所も行った事のあるなしに関わらず自由だし、
登場人物も詳細は曖昧なままだが好きに選べる。
金もかからず、時間の制約すらない
起きている時はそうでないものを観たいと思う。


ただのわがままだ。


黒澤清監督の『ニンゲン合格』『CURE』
岩井俊二監督の『打ち上げ花火』好きだった
日常に繋がっている感じがあった
松本大洋氏の漫画はもう僕の日常とは
隔絶している感じがする


そのさみしさに何かがある
さみしい台風の夜だ