だれのものでもない

舟を編む』のDVDには横濱さんのメイキングが入っている。
タイトルは『映画はだれのものでもない』
本作の撮影現場を見て、思った事なのだろう。
メイキングを観てから本編を観て、後日談が書かれた特典の小説を読んだ。


一般的に完成した映画は客のもので、完成するまでは監督のものだと思われていると思う。
撮影現場で何を起こし、何を残すのか、全てに関われるのは普通は監督だけだからだ。
舟を編む』の石井裕也監督は当時30歳で、主演の松田龍平と同じ歳だった。
その監督と松田が現場で意見を交わす様子が沢山撮られていた。
なかなか折り合わない。互いに率直に意見を投げながら、落とし所を探っていた。
それがよい映画の為なのか、自分の信念の為なのか…どうも混ざっている感じがした。
横濱さんのインタビュー部分と思われる音声では、
「最初は僕の事を知らない分、全部説明しようとする監督にイライラすることもあった」みたいな、
「松田さんはどうしてもキレイになりがち。もっと生々しさをひきだしたくて色々言った」みたいな
事を言っていたと思う。なんというか、もっとどっしり撮られていると思っていたので、意外だった。


悩みや衝突のない現場はないのかもしれない。役者のアイディアやプランがはまる事もあるし、
演技以外の要素も沢山ある。現場が目指すゴールは、段々見えてくるものかもしれない。
考えてみれば当たり前のようだけど、作品のクオリティが高いので、もっとコントロールされていると思っていたのだった。
猫の寅さんの演技に感心していたので、その辺は見られて嬉しかった。忍耐である。


メイキングの後で観てもやっぱりいい映画だが、感想がちょっと変わった。
松田龍平宮崎あおいも、演技にムダや隙がない。それが観る者の共感しやすさに繋がっている部分もあるだろう。
また役柄自体が「不安や迷いもあるが、信念のある強い人間」だからというところもあるだろう。
でもかっこ悪く弱い者にとっては、眩しさに憧れる反面、自分との距離を感じてしまう(感情移入し過ぎか)。
『Breaking Bad』の主役のウォルターは自尊心の強さゆえに失敗を繰り返すが、ちゃんとかっこ悪くてどこか安堵した。
連続ドラマと映画の違いはあっても、演技自体に幅というか、目を背けたくなるような醜さ、かっこ悪さもあった。
舟を編む』では主役の2人に対して、同僚のオダギリジョーと彼女の池脇千鶴が「普通の人」として居て、特に池脇が自由に揺れていたと思う。メイキングでも監督には全然つっこまれてなかったけど、脇役で語られないところが多い分、役者として遊べるところが多かったという事だろうか。辞書監修の先生役の加藤剛の妻を演じた八千草薫もよいが、大家役の渡辺美佐子の方がなんか変でよかった。


監督にせよ、役者にせよ、完璧な人でなければならないなんて事はないんだと思った。
当り前の事ほど、思いこみで見失いがちなのかもしれない。