父が死んで涙が出ないと言っていた母は
出棺の日、蓋を閉める最後の時
ありがとねえぇと言って泣いた
何度も謝意を言葉にしてかけた


人嫌いな人というのは
言葉の面倒くささとか
嘘が嫌いだったりして
関わりを避けて孤独とか言われるが
人以外のものと交わっているから寂しさはない
自分の体で知覚できるものは全て
私という存在に働きかけてくるものだから
それらの相手をしているだけで面白い


母は生まれ育った場所で見た
日の出前の山の景色を見せてくれたし
人が面白いと言っていた父も
仕事や家事や芝居を通して
人と付き合う技を持っていただけで
人のいない景色が好きだったと思う


社会や家族というのは
無理に付き合うものではないけど
傷ついたり喜んだりする機会をくれる
舞台であり、ゲームフィールドだと思う
仮想だけどインパクトの強い現実に私として生きるのと
感じる知覚だけに身を委ねて参加せずに生きるのと
行ったり来たりしている


父の世話をしながら読んだ
石牟礼道子さんの本に描かれる水俣は生き生きとして
母も子供のころを思い出すと言っていた
失われたもの、幻想のカギはみずみずしい知覚からの
その人だけのものなのかもしれないけど
石牟礼さんは言葉で表現してくれた


父の死を契機に1階の床の間に仏壇を下ろしたら
ちょうどその上に東山魁夷の青い山の版画がある
はじめての給料で買ったものだと聞いた
パラグライダーで上から眺めているような
クローズアップされた巨大な山の一部分
美しいような、何でもないような



1秒1,000億フレーム、鏡で反射する光をハイスピードカメラがとらえた