一人合点

舞台から離れて3年目になる
いろいろあって投げやりに過ごしてる内に
親父も死んでしまったし本当に嫌になる
離れたとはいっても前川さんの企画や
市川さんの公演に関わってはいる
今も9月上演の『仮の事情』に向けた
プレイベントなど手伝ってはいる
朗読『痴話』


前に前川さんは「自分のドラマを生きれ」と
言ってくれたが、生ききれていない
何にもわかっていないということだけ
わかっていくばかりで
積み重なった思い込みのメッキは
少しずつびりびりと剥げていくし
体も衰えていくので
不安になるばかりである
そもそも生きるのに躊躇はいらないし
どんどん思い込んでいけばいいんだけど
生きる事を迷わせる一番大きな原因は
自分に対する不信感であった


別によい人間でなければならないとは思っておらず
能力や技術は身につければよいと思っている一方で
自分は他人のことも世界のことも、
本当には興味が持てない人間であること
創作も感動も、飽きずに時間をやり過ごすために
求めているだけということを
認めるのをためらっていたのだった


なんでも「要は」で結論を出すのはよくないが
つまりは生きることに怠惰であること、
必死さが欠けた状態にいるってことかと思う
自分のドラマを生きることをためらうのは
必死に生きていないからという非論理的な話で、
これも一人合点かもしれないなんて思った日には
もう完全に無意味である
無意味な人生だったなあと
肯定的に思えるように、毎日精進あるのみである


精進の使い方間違ってる気もするけど
毎日変わっていくことを意識しやすくなるようにして、
同時に素でいられる時間もだんだん長くすることだ
わからなくても何でもいいから気にしない
親は死に人は老い
あたりまえのことだけど、たまにこうして書いておかないと
絶対に忘れて、気が付けばまた変化に気づかない
子も生まれないのである