美醜

ワールドカップ予選で、ラグビーが盛り上がっていた。15年前までには信じられない結果で、すごいなぁと思った。

中学時代陸上をやっていたので、高校に入るとラグビー好きの同じ中学出身者にラグビー部に誘われた。その時思いだしたのは、手についての友達の思い出だ。

小学生というのは自我が芽生えて間もなく、なおかつ社会性に染まり始めていて気持ち悪い時期である。そんな中、周りの目も気にせず、己のこだわりをつらぬく人もいた。小四の頃、天才漫画家がいた。ノートに鉛筆で描かれた作品は空間表現が並外れていて、幼いながらに完成品と思っていた。同じころ、確か転校生だったと思うのだが、やたらと僕の手を触ってくるやつがいた。彼は僕の手がお気に入りで撫でたり摩ったりしながらため息をついていた。僕は3歳からエレクトーンを習っていたので手が大きく、指がすっと長かった。腕相撲をする時でも、僕の手を握る彼の態度は何か特別なものに触れるようだったので、絶対負けないと思った。同じクラスに眼の大きな少女がいて、マンガみたいだなと思っていた。彼女はスポーツが得意で男勝りだった。ある時、どんなきっかけだったのか忘れたが、好きな手の話になった。彼女はゴツゴツして、汚い手が好きと言い、爪の間の落ちない油汚れや手全体の色、毛の生え方など、事細かに語った。彼女はファザコンだった。

僕は団体競技も球技も苦手で、小学校は卓球部、中学は陸上部だった。陸上はダイエット目的だった。結果的には、始終緊張感なくボーっとしている自分には向いてなかったのだが、高校ではラグビー部に入った。ろっ骨は折れ、片耳の軟骨は完全に潰れ、手も突き指や脱臼を繰り返し、みるみる節が目立つ手になった。
後々女装をした時は少し後悔をしたが、僕はラグビー部に入った時に、傷や汚れや変形といった体の変化を選んだ。生きた証のような気がして、また誰かの為に体を使った結果であったりもして、嬉しいものになった。

自分の体は実用的に使って変形、変色していく方が美しいという選択。それが男だと単純に思っていたが、傷一つないのも美しいと思う。ちなみに天才漫画少年は、中学に入る頃には漫画を描くのをやめていた。興味がなくなったのだと言っていた気がする。子供の頃の選択は、大人になってした選択に比べると感傷的なものである。4年後、また同じようなことを思うのかもしれない。