酒を飲まない

目覚まし3つで起きれなかったのが地味にショックで
久々の休肝日を過ごし、起きた翌日は生きるのが簡単だった
考えたり仕事したりするのがいつもより簡単だったということだ
その日はそれしかしてないということだ


膝枕をしながら彼女のお母さんが書いた短歌集を読んだら
実感が伝わってきてとてもよかった
でも読む前に彼女のお父さんが撮影した家族の記録も見ていたので
「彼女の家族」という作品を、別の視点から眺めている感じがした


海外のプロの批評家の中には、自分が批評する作品の作家とは
一切プライベートでは交流をもたない人もいるらしい
批評を求める人の大半は、作者とは面識がない
その立ち位置に徹して、尚且つ専門的な知見が紹介される批評が信頼される
でも作品を楽しむということは、批評することだけではないから


作品を通じて関係が出来たり、関係が出来てから作品に触れたりする
どちらも生きている間は、作者と読者(観衆)の関係性は常に動いている
もし両者が非常に近しくなったら、作風によっては、
読者自身が新しい作品の登場人物のモチーフにだってなり得るだろう
役者の場合はもっと変化の表れ方が速そうだ
そもそも作品でなくても、人と交わるというのはそういうことかもしれない


自分は酒の力を借りないと、本性が表に出てこない
もし本気で何かを作品にまとめあげたいと思ったら、
飲んでは出し、覚めては整えを繰り返す必要がある
本性に素敵な部分はなくても、そこで掴んだ素敵なものを
飲まないでも出せるようになれないだろうか


どうなんだろうと自分に訊いてみた
彼女に訊いてもイビキが返ってくるだけだったろう
家族について考える