勝負

ものごとを決める時には
ひとつひとつ整理して、
それぞれ理解していくとよい。
単純な答えが見えてくる。
ただのイメージで判断する事を、
安易な選択という。


洗面所で髭を抜いていると笑い声が聞こえた。
テレビのお笑い番組がツボに入ったらしい、
隣の夫婦の声だった。
テレビが何か言う度に笑っていて、
不安な気持ちになった。


僕は人は必ず間違うことを知っている。
人となりは環境で決まると思っている。
先日会った先輩は、景気がよいと言っていた。
それはその人が優れてうまくやれているからで、
今の政治とはあまり関係がない。
見えている世界が違うと思った。


みんな自分の世界を持っている。
それは正しいとかよいとかではなく
他人にどうこう言われる筋合いはない。
どんなに奇怪に見えたところで、
余計なお世話が基本である。


僕は損する事は恐くない。
日本が経済的に成長しなくても構わないが
自分の世界の根には生活があり、
人間社会があり、地球がある。
生活や命は脅かされたくないし、
死ぬまで生きて終わりたい。


メディアが作る世論はもちろん、
生きている全ての人の世界を表すものではないが
社会に常識やムードを作り出し、
余計なお世話なんて言ってられない強制力を持って
「世界」を脅かす仕組を発動させる可能性がある。
安易な選択は極力してはならないと思う。


ただ、人は周囲の影響を避けられない。
親がそうだと言えば、子はそういうものかと思うものだ。
僕も知り合いがテレビで笑いをとっていたら
嬉しく思うし一緒になって笑うだろう。
マジョリティなんて考え方が無ければよいのに。


限界を越えようとしたり、
新しいものを見つけようとしたり
人には、ただ死ぬまで生きる以外の事をする時間が与えられている。
命は留まる事なく変化し続け、
一瞬、一瞬が見逃せない驚きに満ちている。
必ず終わるし、間に合わないのだから懸命に生きなければならない。


6月29日「彼女」が「嫁」になった。
奥さんというには表に出まくっているし
妻というには自己主張も激しい。
嫁か、うちの人、というのがいい気がする。
家を作るのだ。
二人で決めた判断は、安易ではなかったと思う。
予感があり、それに賭けたのだ。