中陰も過ぎて
・焼酎お湯割一杯目
酒を飲むと自分の位相が変わる
他人との関わり方などのルールとは別に
その時自分がやりたい事が変わる
変わるのはアルコールを飲んだ人だけの事であるから
全く勝手な変化であるが
自分の場合は勝手にブログを書いたりする
10日前にすーちゃんの四十九日が過ぎて
渦巻き型の線香を燃やす事もなくなった
死後七日毎に閻魔大王の裁きを七回受けて
輪廻の思想による「次の生」が決まるのが
四十九日目。般若心経を朝晩二回読んだ
すーちゃんは純粋に生きてくれたのだから
次も絶対にいいところという余裕の心持と共に
すーちゃんの為にやる事が一つ減った寂しさがあった
溜まった灰はやたらと服にくっつく種を伸ばす草が
繁茂する庭に撒いた
先日兄がすーちゃん[娘の名は好(すみ)いい名前だ]に
忙しい中、夜行バスで会いに来てくれた
すーちゃんにめろめろの兄はとてもいい男だ
自分の3倍優しく、10倍は純粋で
背は自分より10cm高くて、運動神経もよくスキーが達者
痩せたら的場浩司に似ている兄に
小説家の義父が書いた出産前後の記録と
歌人の義母が詠んだ短歌を読ませたら泣いた
休日で我々は柴又に出かけている間
兄は青森では見ないサンドイッチマンに惹かれて
パチスロで4万買った
・焼酎お湯割二杯目
トイレに行って出かけた妻の化粧ポーチを見つける
バイトの後結婚式の二次会にいく彼女の事を思う
生き続ける事を最上の目的とするなら
誰もが自分の物語しか生きられないのだから
「生きていく」方便としての嘘はあってもよいと思う
その代わり嘘である事は自覚して忘れず
きちんと生きなければならない
誰かに「それは嘘だ」と指摘されたら
「その通りです」と認めなければならないと思う
自分の事しか書けないというのと
自分を切り売りするというのは全く違う事で
経験をどう解釈して引き受けているのか
他人にどういう形で伝えるかという事に
その人となりとその時直面している状況が
現われているだけである
・焼酎お湯割三杯目
髭を抜きながらなぜ自分が痴呆症と揶揄されるのか
それはアイデンティティを状況に委ねていたからだと思う
目が覚めている間の状況がその時の自分を作る
大変な事が起きている時は心を固く設定する
記憶へのリンクは一時的なもので、繰り返し経路を辿る事は少ない
なんだか情けない自分という人間を思う
切実さという点においては
言葉にしてフラットにしないと
理解すら始められないようなところがある
そんな薄情な男に妻は
「成田家の男の根本には正義感があると思う」と言ってくれた
オーディションを受け、来年の舞台も決まってきている妻
自分は何をして生きてみせなければならないのか考える
すーちゃんへの2回目の読経の後
「また会いに来てほしい」
「こんな世の中だけど自分達のできる範囲で良くするように頑張るから」と
言った事を思い出す
とりあえず借りてきたDVDを焼く
・珈琲一杯目
彼女に昨日買ったナプキンと平べったい靴を頼まれた
今日は寒い。街ではおハロウィンらしい
熱いシャワーを浴びてから出かけよう