何の話

網戸を掃除機で吸っていて
自分の髪の毛にも沢山埃が付いている事に気付いた
体も掃除する必要がある場所だ


今日は休みで、彼女はバイトに出かけた
最近読んでいる坂口恭平の連載の影響もあり
自分が今何をしたいかに意識を向ける
傍目にはぼーっとしているように見えるだろう
目では植物に呑み込まれた家を探していたが無かった
歩く速度が遅いなと思う
特に見つからないでそのまま一人でいたら
自分が一枚の紙であるように感じた
何か言いたげだが、聞こえてこない
家事をしたり、髭を抜いたりしている内に
その紙に言葉が染み出てくる
思いを外に出す時はその紙をくしゃくしゃにぎゅっとした
そんなものになりがちだと思う
できるだけはっきりと染み出させてから
くしゃくしゃにもせずに
そのまま出せたらいいのだろうと思う
結局これといったことは何もせず
それでいて満足しているようだった
今日も快便だったし


今日は肌寒いが雨はまだ降っていない
なんとなく流しているトムウェイツの音楽が心地よい
来月の誕生日祝に、義父がホテルの食事を申し出てくれて楽しみである
37歳というのはどういう年齢なのかよくわからないが大人ではある
大人になるというのは、無感動になり、冒険をしなくなる事でも
諦め、 卑怯なふるまいを身に着けたり、醜くある事でもないだろう
そういうのは生きる喜びを放棄して
生きている事を感謝できなくなった状態であるに過ぎない
もちろん感謝しなければいけないわけではないが
大人になるというのは自分の経験を整理して
生きるという事の純度を上げていくものだと思う
自分にとって真っ当に生きるとは
どういう事なのか確認し続けているのが
大人というものではないかと思う


整理といえば、積んでおいた本を
寝る前に半ば義務感から読み流している
最近はコリンウィルソンの『アウトサイダー』で
熱のこもった文章である。参照が多く全然知らないなあと思う
昔はアウトサイダーをアーティストと重ねて思って
憧れていた節があったかもしれないと思う
常識から外れないと見えないものがあると
でもその頃もチャールズブコウスキーを読んで
好き勝手しやがって楽しそうだなとも思っていたから
本当は違うものだと分かっていたのだと思う
自分がアウトサイダーだと意識しているアーティストがいようか
アーティストの意識はいつも変化を続ける世界へと向けられていて忙しい
世間への意識の優先順位は低いので、結果外れて見えるだけだ


先日仕事中にYouTubeの怪談を流していたら
守護霊は十数年毎に交替するみたいな話をしていた
死んでからの事は全くわからないが
死後も社会があるなんて面倒くさいし
人間の社会を指向する意識は強そうだとも思う
よくわからないものはよくわからないままあり
解釈する人に合わせて形を変えて見せてくれるものなんだろう
よくわからないものというか、この世界は元々そういうものな気がする
でも誰かと共有するという事については
37歳にしてまだまだよくわかっていないと思う
なんだかやっぱりわからないけど
かわいいものはかわいい