ガラスの街

『堀と濡れそぼつ』が終わって
しばらくぼーっとしていた
打ち上げで徹夜したというのもあるが
たぶん一種の「堀ロス」だった
一種のって
出演者でもないのに堀は僕だった

と書くと気持ち悪いけれども


MCR主宰の櫻井さんは
公演を振り返るブログを見ても、
本当に 芝居作りにはひたむきだ
「堀が濡れそぼつ」終了しました
写真を撮った保坂さんも
いいところを押さえている
子供のように遊びたい
それはいつでも必要なことだ
でも遊べる人はそうそういない


頭が回ってないので、近所に巣を作った
ツバメの名付けも、すぐ出てこない
結局「オックンとツマメちゃん」になった


淡々と1週間が過ぎると
そろそろ生まれて37年くらいだった
彼女の夢に死んだ親父が出てきた話を聞いて
またすーちゃんのことを思ったり
彼女も次の公演の稽古が始まったりもし
また考えるようになった


面倒くさくない=好き
陽光さんの本を読んでそう思ったんだったか
自分が好きなことが何かわからない時は
面倒くさくないことを意識してやるといい
もちろん僕が好きなのは彼女だけど
自分にとって面倒くさくないのは
体を動かすこととPCと話すこと
逆に面倒くさいのは
予定を立てることと慣れ合うこと


他人に自分をどう知られているかより
自分が自分をどう知っているかの方が気になる
それは自然にそうなったのだけど
同様に逆を自然にやっている人もいて
慣れ合いたがる人というのも、いろんなところにいる
自分は面倒くさいので、そういう人達のことを
現実を見たくないんじゃないかと思ってしまう
「こう有りたい自分」という虚構や
「こんなもんだ世界」という虚構ばかり見たがって
「ありのままの現実」を認めたら
生きていくのも楽しめないような人達には


そのままでもあなた悪くないよと
世の中最悪なことばっかだけどさと
でも固定された世界観とか飽きちゃうじゃんとか思う
こういう事を書くからか「偉そう」と言われるんだけども
でもどういう人にせよ、皆ちゃんと死ぬのだから
有限な時間は楽しく使いたいという気持ちは
それだけは同じなんじゃないかと思う


でもやっぱり、そういう人達とは遊べないので
今日はホテルのビュッフェをご馳走になって
彼女の両親の素敵さを再認識して
それから彼女と家まで歩いて帰ってきた
もっともっと、3人と遊びたいと思うし
遊べる自分でいたい


ものすごい経験も、ものすごい景色もすごいけども
心に残る瞬間や景色は例えば
同じ音楽を聴きながら発した一言とか
何気なく振り向いたら見えた顔とか
本当に何てことない瞬間や景色だ
人生の最果ては今だし
今見えるものがいつも最先端の景色だと思う
もしそれがダセえなあと思ったとしたら
まだまだ遊べる余裕があるということだ


堀の千秋楽は夜だったので
打ち上げは24時開始で
サイゼリヤでワインを飲みながら待つのに
近くの本屋でコリン・ウィルソンの本を探してもらったら
『宇宙バンパイア』しかなかったので
久々にポール・オースターの本を買ったら
一人焼肉をしていた吉村さん
LINEで時間つぶしをしてくれた
明日は内緒だけど僕の誕生日で
阪神は負けたけど兄貴にもらった日本酒を飲んでるし
彼女と一緒に筋トレをしたし
寝る前に読むポール・オースターもよいと思う