彼女は当然の権利を主張する


浜比嘉島に泊まった日
食事ができる店を探していた時
たまたま見つけたタコライス店の
猫がたむろする店の脇に駐車して
入口のドアに張られた貼り紙に
17:00〜とあるのを見て
あ、まだやってないわと戻ろうとしたら
彼女に違うよと止められてよく見ると
バイト募集の貼り紙で、
募集中の労働時間のことだった
なんでこういう時いつもすぐそう思うの?
何、世界に自分が受け入れられてないとでも思ってるの?


昔自分が書いた短い台本を
上演してる友達の高森くんに
先日違う形に直しを頼まれて
数日せっせと手を入れてみたが
今関心のあることではなかったので
やっぱり全然面白くならず諦めた
彼女にギャラのことを訊かれて
前も今もタダだと答えたら
依頼されて書くことに労力を使ってそれでいいの?
自分が書いたものを何だと思ってるの?


世界に自分が受け入れられてないと
自分が思っていると思われるのは
恥ずかしかった
でも自分を楽しませることをすぐ諦めがちなのは
根っこにはそういうものがあったのかもしれないと思った


とりあえず書いたりすること
それ自体は欲求である
自分が生きているということを
誰かに知ってもらいたい
中でも衝動を伴う違和感や切なさなど
それが何なのか、自分では
よくわからないことを残しておきたい
それで誰かに認められたいとか
理解されたいとかではないので
他人と繋がりたいとかではない
まず出して、それから自分で
わからないなりに整理したい
そうしないと自分のことだけで
頭がいっぱいになって
気持ちがふさいだり気分が悪くなったり
生きてない感じがしてくる
そういう意味でとても生理的な欲求だ


では書かれたものについては
何だと思っているのかというと
とりあえず、わからないものを
わかりたいという衝動のないものは
つまらないと思っていて
いくら書いても答に行きつくことはないとも思っている
だからこういう文章よりも
有ったことをできるだけそのまま
自分なりに書いた文章の方が
まだ面白いだろうとは思っている
また他人の注文に応えた内容を書くのは苦しいので
それができたらお金をもらってもよいとは思っている
前に書いてた時は友達と遊ぶ感覚で
好きに書いて楽しんでいただけなので
やっぱりお金はもらえない
これまで整理とか言いながら
書いてきたものを改めて読んで
全然整理ではないと思った
書きながら考えてるだけだ
ただ音を出すことを楽しむように
ただ楽しんで書かないとだめだろう


沖縄では遊んで暮らすってことが
わかった気がした
それは新しい経験だけをやることである
子供の感覚に近い
新しい経験をすること
川に飛び込んだり
ずっと車を走らせたりすること
それが新しくなくなったら、また他のことをする
朝起きた時に「今日はこれをやってみよう」と思い
夜寝る時には「今日はこうだったなあ」と思う
その時やることを楽しんでやれる
そんな暮らしである


それで、自分はそれをしてよいと思っていることに気付いた
自分はこうなりたいというものがない
色々コンプレックスも持ったままだけど
このままじゃだめだとは思っていない
このままの自分で
この世界で遊んで暮らすために
生きていいと思っているんだと
気付かせる彼女はすごいなあと思った
沖縄もすごいなあと思う



沖縄のカメムシ