栲象さん


白鵬日馬富士に敗れる。アナウンサーやお客さんの反応を見て、朝青龍より白鵬の方が好きな人が多数派なんだなと思う。誰でもわかるか。今度「東京の歩き方」とかいうガイドブックが出るらしく、Tilleulに取材。終了後STOUTで店番、夕方帰宅で大相撲を観ながらカレーを食べる。シャワーを浴びて国立へ出かける。

今日僕は人が首を吊るのを観てきた。木戸銭を払って。
(と書くと大いに語弊がある。事実はそうかも知れないが、この書き方から受ける印象に語弊がある。正しくはこうだ。)
ゑびすの進藤さんよりかねてから聞いていた「首くくり栲象(たくぞう)」さんの庭劇場を観に出かけた。国立駅南口改札でモグラグで知り合ったFさんと待ち合わせ。仕事終りでお疲れの様子。栲象さんの友人が管理しているというHPの案内のおかげで迷う事無く、寒かったので国立駅から15分程で庭劇場に着いた。開演まで少し時間があった。「こんばんは〜」と灯りの向こうに声をかけると、「はーい。まだ時間あるから家入ってあったまって」という事になった。開演前にお話が出来るとは意外な展開。木戸銭の千円を料金箱に入れ、縁側からお部屋に上がり、魔法瓶のお茶を頂いた。栲象さんは率直で、それでいてスマートでとても男前だった。去年『花の寺』を観に来てくれていたのでその話などする。あれはもっと広い場所でもやってみたら面白いんじゃないかな、との事だった。やがて20時。開演時間5分前になる。「時間通り始めるからね」と栲象さんは携帯のアラームをセットした。
庭に備え付けられた客席に座り、開演を待った。サンタナの『哀愁のヨーロッパ』が聴こえてくる。この曲はFさんの携帯の着うたでもあるらしく驚きながら笑う。やがて部屋から後ろ向きで栲象さんが出てきた。「わあ、すごい」アホみたいだがそう思った。去年進藤さんが言ってた「今ここに居る集中」が目の前で体現されている。3回眼鏡を直した他は終いまで約50分間身動ぎもせず観た。手を伸ばせば、もしくは数歩歩けば触れる何の変哲もない(とは言いきれないが)庭で栲象さんが「行為」をしている。時折風が吹くと、入り口のビニールシートがガサガサ鳴り、何かキィキィ軋む音がする。隣の家のおばさんが二回ぴゅん、ぴゅんとくしゃみをする。開演前に現れた太った猫の首につけられた鈴の音がする。シートの裏の駐車場にやって来る人の砂利を踏む音、一連の発車音がする。そして栲象さんの静かで確かな呼吸の音がした。寒かった。
ステージが終り、再びコタツに体を突っ込んで3人で話をした。特性お好み焼きと柿の種、焼酎のお茶割り、砂糖菓子を振舞ってくれた。差し入れの日本酒も湯呑みに注ぐ。自分が弘前出身という事もあり、夜行館の話をする。10月、東京公演がある。これは行かねばならない。Fさんの前職の話題に触れて、公共性の話をする。庭劇場は個人的な表現だが、だからこそ、とても開かれているのだ。自分は公演中栲象さんに「今、どう感じ、何を思いますか」と聞きたくて仕方が無かった。公共に広められるべき知的財産(経験、人生を知的と呼びうるなら)だと思った。蝉の羽化を見る話をする。栲象さんは割と最近、じっくりと見たらしい。死ぬまでに見るべきものの一つである。
そして栲象さんは「高み」ではなく、「底」を目指して集中している(らしい)という話を聞く。冷えた体をお湯割りと日本酒で急激に温めたせいか、酔い始めているようであった。「そこには皆もいるんだよ。高みを目指すより簡単な事でね。底に下りると、階段があってね。そこを上ると…庭なんだよ」衝撃的な話だった。全然簡単じゃないよ!と思った。
栲象さんはストイックな肉体と精神の持ち主だと思うが、とてもチャーミングで身近な感じがした。もし関東大震災がまた起きたら、安否を確認しに国立まで来たくなる人だった。自分が生きてたらだけど。うちが吉祥寺だからというのもあるけど。ともあれ、自分にとって本当に素晴らしい出会いだった。Fさんも今日の経験に満足している様子だった。日本酒を飲みながら、3回もトイレを借りたのはちょっと恥ずかしかった。