山脈


東京演劇アンサンブルの木下順ニ追悼公演『山脈やまなみ』を観てきた。途中休憩を挟む3時間の芝居。STOUTで招待券をもらわなければ知らなかっただろう。親父が出演してた劇団弘演『紙屋悦子の青春』と同様、太平洋戦争をモチーフにしたリアリズム演劇。観客も初老の方が多かった。

小川が流れるセット。皆さん上手だったが、難しい芝居だと思う。戦争未経験者がリアルに演じるのは難しい芝居だ。だって当時を生きている人間と現在生きている人間は質的にあまりにも違う。観劇の感想も「当時と今では人間がだいぶ変わってしまったなあ」というものであった。変わる事は当然の事として、純粋な気持ちには胸を打たれる事もあろう。そんな中、田舎の少女:よし江を演じた木戸真沙美さんと、役場の職員:原山作太さんは自分に役を引きつけられており、よかったと思った。木下順ニの人間をみる暖かい視線を感じた。やさぐれた復員兵を見る主役の村上とし子のラストが観客に問いを突きつけていた。その問いとは、「人間はこんな経験をしてしまったよ。これから、どうする?」というものだ。
金子光晴の本で「アモック」という状態を知った。

主な症状は、何らかの悲しい出来事に遭い、侮辱を受けた後、部族の人との接触を避け、引きこもり、暗い目をして、物思いに耽っている様な状態になる。そして、突然、身近にある武器を手に外へ飛び出し、遭遇した人を無差別に殺傷してしまう。殺戮は本人が自殺、または、殺されるか、取り押さえられるまで続き、後で正常に戻った時には、人を殺傷していた時の記憶を失っている、といった特徴がある。この事から、近代化される以前の部族社会では、アモックと呼ばれる、人を無差別に殺傷する事件が起きていた。
アモックが起きる背景には、文化的な要因が大きく影響しているとされており、「アモックが起きていた当時の部族社会では、悪霊の存在が信じられていて、その悪霊が乗り移って、アモックが起きる」、「子供に非常に寛大であるが、大人は厳格な規律を守るように求められる当時の社会では、大人になった若者が、社会に窒息感を覚え、暴力への衝動が生まれる」、「アモックになった本人は命を失うことが多いので、自殺に関して寛容でない部族社会における、一種の自殺である」等、さまざまな説がある。19世紀以降、欧米列強の進出により、社会が近代化されると、アモックは減少し、現在では、ほとんどなくなった。
ヨーロッパへは、大航海時代マレー半島にやってきたポルトガル人等から伝えられ、ジェームズ・クックの手記にも、アモックについての記述がある。アモックは、“amok”として英語になり、突然、理性を失った行動を取ることを“amok” または“run amok”と呼称しており、現在では、マレー語由来の英語としては、最も有名なものの一つとして知られている。アモックとは

意図的に虐殺行為を強制し、兵士をアモック状態にする事が強兵術として行われていたらしい。アモック状態になった弊害か、終戦後、引き揚げ途中の兵士が同乗した一般人を殺害するような事件もあったらしい。
してしまった事は取り返しが付かない。狂乱状態にあった自分がした事を平静になった時にどう受け入れるのか。自分は酒に酔って他人の心を傷つけてしまった事ですら受け入れ難かった。アモック状態で他人の命を奪ったとしたら精神は容易く壊れるだろう。否。「こうありたい自分」が壊れても、自分を許す理屈を考え出すだろう。悪魔的とは、生き延びる為の自己肯定を拡大し、自分の全ての行為を他人の存在よりも上位に置き「そういうものだもの」と思えてしまう事だ。自分もそうなる可能性はある。自己否定と肯定の間で混乱し、荒れている復員兵を見るとし子の戸惑いは、現代に生きる自分にも通じるものだと思った。