色気のなさ

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』下巻終章の一節。現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとりで、サルトルの『弁証法的理性批判』を論破したりしたそうだが、当然自分は一冊も読んだ事はない。只、この言葉に「そらそうだよねえ」と妙な安らぎを覚える。50億年後には赤色矮星化した太陽に呑み込まれて地球はなくなるそうだが、そんなの関係なく。
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先月から平日は基金訓練に通っているのだが、先週は他にも色々あった。風邪っぴきの火曜日の夜は相談を受け、水曜の夜は個人請負の映像編集。木曜の夜は国立に首くくり栲象さんの庭劇場。金曜の夜は麻雀で、土曜は映画『エンディングノート』を観た。

この監督、実に沢山の映像を記録したものである。主人公である監督の父親の若い頃の8ミリや、そのまた父親の映像などもあった。幸せな人にはユーモアの余裕がある。出演されているご家族の皆さんも撮られる事が自然になってるようで、フレデリックワイズマンを思い出した。自分もあんな風に父親を送れるだろうか。

30日。犬の散歩代が入り携帯代金を支払った。阿佐ヶ谷の雀荘では初心者へのコーチもしつつ終始和やかであった。帰宅して早速麻雀牌を注文した。

29日。栲象さんは高みに上り、深みに潜るを繰り返しているんだろうなあと思う。今回の庭劇場は音がドラマチックで沁みた。それだけでも満足なのに、また一緒に呑ませて頂いた。お手製の桜の枝でできたタバコを吸う器具がかっこよかった。現金が無いので歩いて帰るも、酔って東大和市まで行ってしまった。20km位歩いたんじゃないか。

28日にはもう風邪は治っていた。
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風の旅人』というグラフ文化誌を購読しているのだが、最新の44号で休刊だそうだ。冒頭のレヴィ=ストロースの言葉もそれで知った。連載されている文章も「今を生きる」という事にとても自覚的で、真摯なものばかりで、頭が下がる思いがする。それで自分が変わる訳ではないのだが。
アナトリア
今回の写真の中では鬼海弘雄さんの写真が一番好きだ。パンを売りにいく少年の写真に目が留まったのだが、風景と人の写り方が生々しくなく、どこかシュールで、おかしみもあり。『風の旅人』他の写真家の作品なども興味深いと思うので、お勧めです。もう休刊だけど。

で、10月2日。絵描きの友達のに頼まれモデルをした。ヌードでもよかったのだがパンツ一丁。自分などで役に立つのか謎だが、見えるもので使ってもらうしかない。後ほど写真を見せてもらったら、意外な姿が写っていて面白かった。作品は新宿ベルクで展示されるそうなので、その後にでも載せていい写真があったら公開したい。

「姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う」+プロジェクトDENGEKI
夜は『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』と『電撃』を観た。蠱(こ)て読むのか。TRASH-UP!!屑山屑男さんも仰っていたが、姉弟ものは自分も個人的にぐっとくる。力強いものが凝縮された映画だった。長宗我部陽子さんの歌声も「ぐっ」。
『電撃』を観て受けた印象は「こんなの初めて」。色々な理由からくる複雑な印象なのだろう。映画美学校に来る人の作品には、監督が囚われているこだわり、謎、もやもや、なんでもいいのだが、そういったものを解消したいという動機を感じる事が多い。少なくとも『電撃』はそれを超えている。


金木犀が香る季節である。上のは彼岸花だけど。学校ではインターネット検定絡みの授業が終わり、Illustratorなどの授業に入った。大変勉強になる。今、頼まれている肖像画を(PCで)描くのにも役立ちそうだ。色々あったが、改めて情報は情報に過ぎず、「これはどういうものだ」と物事に分別をつけようとしてかかる事のつまらなさを思った。
タバコに放射性物質が含まれていようが、ふくらはぎを温めると健康になろうがどうでもいい。食べたい物を自分で作れるとか、そういう事の方が大事なのである。子供のようには無理でも、感じてから考える事を増やしていけますように。そしたら記号でも惰性でもなく、恋とかできるかもしれないし。今を生きるぜ。