しぜん

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昔から社会的なことに興味が持てない。逆に気になるのはいつか死ぬということで、変化する自分や新しい経験、他人の純粋に個人的な行動などは、大いに興味がある。一方で役割とか見た目だけでも面倒なのに「こうあるべき」なんて話が多過ぎて辛い。一応、生存する可能性を上げる恩恵も受けているのだろうから、社会にいてもよいものとして「意味」を求められる以上、それらしいものを用意、時にはデザインして体裁を整える。時には説明もする。めんどくさい。やっぱり人に殺されるより、熊に食べられた方がいいし。

存在意義はある程度自分で作らなければならない。周囲から使えるものを探したり、自分のリアクションに理由付けしたりして、他人に見せられる一面を用意しておく。社会はカオスを排除しようとする不自然なものなので、それに応じた不自然な一面、つるっとしたお面が社会的な自己である。それも自分の一部だし、文句はないだろうという建前だ。

それを考えるのが面倒過ぎて、幽霊になりたいと思っていたこともある。ずっと誰にも認められないまま周囲を眺めていたい。社会的に幽霊になるには、欲望を滅却して周囲に擬態すればよい。欲望の滅却なんて難しいと思われるかもしれないが、ただの習慣である。なぜやりたいのか自問していけば、大概の欲望に理由はない。刺激そのものを無効化する考え方と行動をしていけば、環境もそうなっていく。だが飽きる。毛穴からも臭いがしてくるし、少なくとも身体の処理は考えなければならない。

脱線したが、だから公人や有名人はさぞや疲れるだろうと思う。覚醒剤をやりたくなる気持ちもわかる気はする。特に天皇は一番大変だ。象徴として存在する(しかも実体のないものの象徴)なんて難易度が高過ぎる。そんな禅問答を強いるようなルールの下に生まれてしまった天皇がせめて独りでいる時には、存分に社会的に無意味なことをやって頂きたい。

したいからするのが自然である。何故したいのか欲望に理由はないと書いたが、自然は多分そういう風にできているし、全ての行動は自分にとっては意味がある。社会的なことに興味が持てないというのは、自分が社会に向いてないからだ。社会に不適合な人は、社会に合わせて自然をうまく手放せないだけだと想像もしている。実際のところ他人に親しみを感じるのは、自然な一面を見ている時だけである。建前に安心を覚えるようには、なりたくない。


即死 THE ↑ HIGH-LOWS ↓

昔インド料理屋のバイト前に、この曲のサビを口ずさんでいるのを、通りかかったインド人に心配されたのが後の妻である。