お気に入り
一般的に好きなものというのは、理由はわからないが固執してしまうものを指すのだろう。自分は固執しないことに固執するという、どうしようもない考えでこれまで生きてきたので、自分のことは一般的な好きという感覚がわからない、つまり情の薄い人間なんだろうと思っていた。諸行無常の気分でいて喜怒哀楽がない。大切な人が出来ても距離があるのは仕方ないと詰めようとしないので「本当に好きなの?」と訊かれることも多かった。固執しないというのは、変わることを好むということで、大概の現象を受け容れられるともいえる。好きなものを考えてみるより、嫌いなものを挙げる方が少なくて楽だ。まあ情は薄い。
それがパートナーが出来てからは、彼女との関係に固執することになる。初めて彼女と会った時「先住民みたいな人だな」と思った。前髪ぱっつんで黒髪だからではなく、東京で生まれて育ったのに土の臭いがする気がしたからだ。その予感は当たっていて、自分を飾ってみせることもないし、他人を含むあらゆる現象と向き合って心を動かすし、何より自分の中の基準を大事にする真っ当な人だった。俳優でいながら飾らずにいられるなんて恰好よい。だが彼女は周囲の人間も真っ当であると信じたがっていたようで、不満を抱えていた。一方自分は常識は嗜む程度でお茶を濁すし、ほぼ毎日泥酔しては酒の力を借り日常に変化を起こそうとするような人だったので、付き合い始めて「これが真っ当ということか」と思うことがたくさんあった。自分にはない彼女の真っ当さに固執していた。
平たく言えば未熟者同士、酔っぱらってケンカすることも多かった。ケンカの時は怒った。そしてすぐ仲直りしたいと思った。正直に話し合うことが、二人とも好きだったのは幸いである。人生で最も悲しい経験も一緒にして、受け容れることもできた。生活が変わり、何か起こる度に弱いところを見せたり、逆に強さを見直したりしながら認め合っていったのだと思う。家族になった。生まれた時からあった家族とは違って、互いの意志で作る家族である。自然発生的に起こったものに目を向け、固めていく意志を持った。そして今は家族でいることに固執しているわけだが、変化を拒んでいるわけではない。彼女とは物事の受け取り方や反応など違う部分はたくさんあり、相変わらず興味深い。ソウルメイトといわれるものもよくわからないし、多分そういうものではないのだろうとは思う。でも彼女の事は世界で一番信頼している。
人間の好奇心は全方位に向かっている。もちろんよくないことにも向かうので、そこでどう行動するかは倫理観と、信頼する人の有無に左右されるのだろうと思う。結論からいえば楽観的なのだが、自分はまず悪い想像をするクセがある。帰宅時には、誰かがドアを開けた瞬間に攻撃してくる事を想像するので、まず中を一瞥してから入る。予期した以上、予期せぬ不幸は減るからで、防犯上よい習慣だと思う。社会への疑いも捨ててはいけないと思うし、そもそも人間の中にある悪意の存在から目を離せない。避けられない理不尽は、この世に間違いなく存在する。そんなところにおいて、世界で一番信頼する人と、これからも守りたいと思える関係が作れたことは誇らしい。もはやそれはお気に入りである。またこんな事を書くと「軽い!」と怒られるかもしれないけど。でも唯一無二のお気に入りなのである。