熱量

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マリンバの脳に来る音が好きだ
でもだからといって
今すぐ自分でマリンバを叩こうとは思わない
実際に機会を用意するのはなかなか大変だからである
YouTubeマリンバの演奏を探して聴いたり
マリンバで検索して出てきた記事で
マリンバシロフォンの違いを知ったり
すぐできる事をしてある程度満足する
でも、自分のしたい事なら
実際にするのであろうと思う
この「実際にしたい!」という熱量は
結構理由も無くあるものである
とりあえず自分のマリンバへの熱量を記憶しておく

人間は自分のしたい事をする
自分のしたい事にこだわり
まわりの人間とぶつかる
したい事に純粋であるほど、
素直で必死なほど魅力的だ

ぶつかる事はとても疲れる事だ
疲れたら休まなければならないが
都合よく休めるわけでもない
だからといってしたくない事をすると病むので
どうでもいい事をして日常の大半を過ごしていると
時に自分はしたい事をしているのかと思う

したい事に純粋でいられる時間を
如何に日常に持ち込むかなんていうのは
小手先で要領よくできる事ではない
やはり熱量を意識して、自分のしたい事を
やり続けようとするしかないのである

オードリーの若林のエッセイに
「牡蠣の一生」というのがある
番組で牡蠣をとった若林は
「牡蠣は何のために生きているのか」と
彼の悩みに答えてくれるおじいちゃんに尋ねる

おじいちゃんは笑って「最初から意味なんてないんだよ」と言った。
「いいかい。この世に存在する理由には二つあって。一つは何かをしているから存在していいということ。例えば、会社にいてちゃんと働いているからその会社に居ていいって思えるみたいなこと。二つ目は生まれてきたら、なんの理由も無くこの世界に存在していいということ。
 リストラされたりして自殺しちゃったりする人は一つ目の理由が全てだと勘違いしている(略)ホームレスを少年が襲ったりしたら捕まるでしょ。それは大事な大事な二つ目の理由を侵す行為だからなんだよ。そして、少年たちは一つ目の理由ばかり教わっているからその犯罪行為を悪いこととあまり思わないのだろうね」

それを聞いた若林は
意味なんてないからこそ、せっかくだから楽しいことをするのだ
せっかくだから面白いことをするんだと納得するという話である

エッセイを読んで、自分は昔から
「二つ目の理由」に根拠のない自信を持っていたと思う
「意味の無い事に価値が無いわけがない」と思っていた
なんでかはわからないが
誰かが「そういうものだ」と刷り込んでくれたのだろう
そしてそれはきっと親など環境の影響が大きいのだろう
でも、そう思わないと
やってられなかったからだと思う

知り合いにアル中で変態の舞踏家がいる
初めて会った雨の夜、彼は蓑傘を羽織り煙草を吸っていた
蓑傘の下は露出度の高いワンピースで
ワンピースの下はTバックだった
マヌケだが面白いと思った
若い頃は違ったのかもしれないが
彼の舞踏は美しさの対極にあるようなものだった
政治への危機意識をアジりながら踊る
そんな舞踏公演を完全に自費で行っていた
いつも盛り込み過ぎて収集がつかない
本人が倒れて終わる事もあった
でも面白いので公演を手伝ってきた

彼は「エロい女性の服が好き」という
要は女体が好きなのである
好き過ぎてエロい服を着て
どこへでも出かけていく
でもいわゆる社会的にはアウトなので
よく飲食店を出禁になったり
飛行機の搭乗を拒否されたりしている
また危険なので常に他人の目を気にしている

彼はアル中だが性格はとても穏やかで
偏った方面ではあるが博識で顔も広かったので
舞踏家と知り合った頃はよく一緒に飲み歩いた
感情を表現する手段に舞踏があるのが
かっこいいなあと思っていた
何より自分のやりたい事をする熱量が凄かった

kangaeruhito.jp
>「小川榮太郎・A」と「小川榮太郎・B」は、お互いのことをまるで知らないように存在している。同じ人間だと知ったら、内部から崩壊してしまうことに薄々気づいているからだろうか。

自分はアル中ではないが、酒乱だった
「二つ目の理由」に生きている自信は有っても
「一つ目の理由」社会的な自分と自意識の折合が
うまくついていなかったのだろう
パリ、テキサス』や『ハズバンズ』などの
身勝手な男の映画を好んで見ていたのも
そのせいだと思う

結婚を機に、妻のやや男性嫌悪的な意見の影響もあり
そうでない自分を相対化してみたりする事で
社会的に要請される建前の自分と
意味の無い熱量を持って生を全うしようとする自分を
客観的にみられるようになった気はする
彼女の言語化能力の高さのおかげだ
でも身勝手な男の部分も相変わらずあるし
刹那的な衝動も減ったとはいえあるだろう

矛盾する自分で生きている限り
現実は躊躇なく矛盾を指摘してくる
その場その場で適当にとりつくろったり
現実から目を背けて自分に都合のよい言い訳をしても
いずれは人格が破綻すると思う
この自分に都合のよい言い訳というのも強力だし
適当にとりつくろう選択肢も習慣性がある

高橋源一郎のように、他人の全著作を読むという在り方は
全くすごいとしか言えない
知るほど自分の中にその人への理解が深まり
怒れなくなってしまうというのは興味深い
全ての人が全ての人の人となりを知ることができたら
誰も怒れなくなってしまうのだ

それでも他人の尊厳を侵すような言動は
怒りを持って非難されるべきなのである
否定されるのは人格ではなく行為だ
自分は意味もなくマヌケに生きていきたい
マヌケな自分を晒すことにもっと抵抗なくなりたいと思う
その為には「実際にしたい!」という熱量が鍵だ
今、自分は熱量を持って何をしたいだろうか