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答は全て途中だ
全ての答は過程にあるともいえる

例外は学問をしている時だけで
中でも数学は数という揺るぎない仮想の話なので
数学上の答はそれ以外あり得ない終着としての答だ
でも学問の対象が現実の事象になると途端に
その学問上の答は途中になる

経験則の精度が上がっても
知識が積み重なっていっても
現実には新しい現象は起こり続け
答は常に過程にある仮止めだ

それは生きるという事の本質だと思う
だからこそ常に可能性を見出せる方を
人は選ぼうとするのだと思う
可能性を見出す事は喜びである

可能性とは切なさでもある
それはいつか必ずゼロになる
夕餉の匂いが切ないのは
今生きているなあと思うからだ
廃墟は好きだが切なくはない
追憶には切なさを感じない

先に他の臓器がダメになるが
人間の脳は100年は成長し得るという
人間の生き方はまだ発展途上らしいが
そもそもなぜ100年も余裕があるのだろう

わかっているのは脳の成長の為には
ワクワクしなければならないという事
退屈な時は自分が退屈にさせている
ワクワクを諦めたら脳が退化する

変わらないと思えば変わらない
でも変わらなくても大丈夫だし
逆に変えてみても大丈夫である

脳の寿命の事なんかどうでもよいが
切なさを感じていきたいという話