わからなさ

よく聞く話だが、
生きていると「どうでもいい」が増えてくる
自分の経験で「どうにかなる」が増えるのと
自分の(体や好きだったものの)変化に伴い
変わらないものへの執着がなくなってくる

でもどうにかなったそのことも
どうにもならなかったかもしれないし
変化も抗うことをしなかった結果かもしれず
好きになった対象も自分の外側にあるもので
それらはたまたまそうなったのである

ただ生きていると、ただ変わっていく
やりたいこと、好きなことも続ける前にとりあえず
まずひとつ、ある形に固定してやるだけでも
ただ生きるから、一時離れる決意や意思が要る
その意識の中には、何か物語がある
(本を読んでいる時、身体の大半は止まっている)
一方で、そもそも自分がここにいることに理由はない
作った親、親に作らせたものに理由はない
ただ生きて変わっていくだけなら、物語は要らない
誰かと生きるには、物語が要る

人間には美しさと醜さがあり
下らなさと偉さがある
喜びと悲しみももちろん
リアクションとしてある
それぞれ物語は個別に持っているが
そろそろ大衆というものは
国という意識を捨てられないものかと思う
皆同じ地球という星に住んでいるらしいということは
さすがに受け入れてやってもいいんじゃないか

その星で生きている人間たちにとって
きっと一番の問題はその星で死んだ後も
人間たちが生きていけるかということで
現在晒されている問題の解決にあたっては
同じ星に生きる人間たちという物語が要る
国という物語はそろそろ要らない
金も権力も人間が作ったもので
人間出来不出来はあっても
みんな美しく醜く下らなくて偉いじゃんと
色々あったけどそれどころじゃねえから
そろそろ同じ人間同士いっちょ考えよう
みたいにならないものかと思う

まあ、なかなかならないのであるが
独裁とか戦争とかいう物語やフリは止められるし
途中で止めたところでなんてことない筈なのである
ただ生きていくこともできない人がいる状態は
人間としては絶対に解決しなければならない

「わからない」というのは、
主語と対象が何であっても常に検討すべき感想だ
それを諦めと取るか、そのまま受け入れるか
わかるために努力の余地があるものか
時間がなくてどうしようもないけど
後に生きる人のために残しておくべきものか

自分でもよくわからないものを
他人にわかる形に固定してやる
それは常に不完全な過去だが
だからできるだけ感じた今形にした方が
本当に感じたことや、わからないものの正体に近いこともある

だから表現者としては、役者がわからないものに近いと思っている
演技は生理と繋がっている表現(今を固定しようとしたもの)だからだ
生理と繋がらない表現などないが、それそのものを鑑賞の対象にしている点で
役者はただ生きていることに一番近く見える表現をしていると思う
楽家、舞踏家は技術に目がいきがちなので
それを意識しないようにするには経験の蓄積がいる
表現された瞬間を鑑賞者として目撃するには
普段目にする人たちと同じように観られる
役者が一番、今生きているということに近い
アニメはわからないものが排除されがちなので
今自分が生きているということからは遠い

自分の経験上、この生きているというよくわからないことを
そのまま受け入れてもらえて助かった
学校に通ってわかることが増えても
自分自身が他人にわかるものにならないと
社会は受け入れてくれないのかと思ってたら
ずっと図太く、ただ生きている先輩たちが
映画や演劇の世界にはいっぱいいた
映画学校で自分の脚本が面白がられたのも
わからなさにあったと思う
自分もそんな先輩になりたいと思う

とりあえず食事と排泄を一緒にしてみたいと思った人へ
別に止めないけど、答は「よくない」である

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