眠る前に

自分は衝動だけで生きていけるほど賢くも美しくもなく、惰性だけで生きていけるほどには不真面目でも独りよがりでもなかった。だが衝動や惰性だけで生きている人などいるだろうか。誰もが衝動と目的意識のせめぎ合いの中で均衡を保とうとしている。生きていく為に、日々入力される新しい情報に翻弄されながら、自分を見失わないよう意識の仮止めをし続けている。
眠る前に思考が解けていく感覚と死ぬ時の感覚が似てるのではないかと妻に話した時「その話前にも聞いた」と言われた。酒で酔ってしていたらしい。妻は笑ってまた同じ話を聞いてくれた。話の要点はつまり「なし崩し的に意識が消滅していく感じは気持ちよいかも」ということなのだが、妻が「私が死ぬ時には愛する人たちの名前を持っていく」みたいなことを言い出し意表をつかれた。
意識は五感から入力された情報を統合する際に生まれるものだと読んだことがある。人の出力は全て運動だから、動かす体がなくなったら意思表示はできなくなる。でも意識はある。全ての入力が途切れるその時まではあるだろう。記憶は脳に蓄えられるというから、脳が死んだら無くなる。だが妻の話を聞いて思ったのは、仮に名前の意味を忘れたとしても「その名前を持っていくという意志」はどこかに残るんじゃないかということだ。認知症の人が思い出の中で生きるのも、理由はわからないが意志の働きかもしれない。記憶や意味を失くしても意志はなくならないかもしれない。結局はわからないのだから、眠りに落ちる前に試してみたい。
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